……解体が繰り返されるなかから生み出されるその画面は、対象の視覚的なあとをとどめないにもかかわらず、かえってその存在の気配や重みを感じさせ、見る者の心を揺さぶります。……
(2003.8.12 – 10.5 東京国立近代美術館[MOMAT])
台風に襲われた東京のとある休日、地下鉄の駅から歩いて3分の東京国立近代美術館へ、抽象画の画家の作品を見に行きました。まさか、この雨ではさすがに空いているだろうと思いきや、なかなかどうして、人が訪れていました。さすが国立の美術館。最近、MOMATの企画展が、私の興味をそそる展示を良く予定していて、来年まで楽しみです。
さて、例によってロッカーに荷物を放り込んで。ここのロッカーはお金が返金される仕組みです。企画展は1Fで開催されています。
展示の構成は、全3章構成に分かれており、ヨーロッパに渡る前、フランス逗留時代、帰国してからというように、知識の無い私でも、よく分かるようになっていました。知識のない私でも、というより、作風がはっきり分かるように変わっていったようです。初期は、作品の対象となるものの「かたち」がはっきりと描かれており、ヨーロッパ時代には、「色」がシャープに作品に乗せられています。帰国後の作品は、まさに躍動感を感じるというか、作品のタイトルと描かれているものには関連性が無い、つまり描かれている「かたち」「色」においては、作家の意図する、具体的な対象に辿るための手がかりは無いように思えます。
私はこのような抽象画はとても好きです。前述したとおり、一見、いや何度見ても、その作品とタイトルには、とても関連性は無いように思えるもので、その作者がその時代に何を考え、何を感じて、何を見て、何が原動力となって、その作品を描くに至ったのか。それを知るのがとても楽しく思います。
いまなお80歳を越えて、この高さ2mはあろうかという、大きなキャンバスに色と線とを描くこのエネルギーには圧倒されます。絵を描き始めてから何十年と経ち、作風の遍歴などを辿り、現在に至る、一人の男の人生と魂が、一連の作品に描かれているように思えました。台風の日に訪れた価値は十分にあったと感じます。
今回は常設展も見に行ったのですが、さすがは国立美術館だけあって、展示室もものすごく広いです。やはり現代美術に惹かれます。